「おい」

 固い音に没頭して本を読んでいたティーは顔を上げ、後ろを振り向く。音もなく開けられていた扉に凭れ、シグレが今更ながらに軽く握った手でノックをしていた。
 いきなりの来訪にティーは驚き、目を丸くして椅子ごと向きを変えようとして、わっとバランスを崩す。慌てて机の天板に手をつき事なきを得て、改めてシグレを見た。半分体勢がくずれかかっている姿に呆れている。

「……何やってんだ、お前。危なっかしい」
「ご、ごめん……」

 謝りながら立ち上がり、ティーは「それでどうかしたの?」と尋ねる。
 シグレはああ、と羽織の内側に手を差し入れ数枚の書類を取り出し、ティーに差し出す。

「おっさんから頼まれた。前、お前がおっさんに頼んだ調査結果の書類だ」
「……調査?」

 首を傾げるティーに、シグレは溜め息混じりに舌打ちを打ち「やっぱり忘れてやがったな」とぼやいた。

「ずっと前に頼んでるんだっつーの。あの……ギャザリーとか言ったか、そのねーちゃんの居場所教えてほしいって。……覚えてねえのか」
「……」

 記憶の糸を辿るティーの表情が、見る見るうちに青ざめていく。ずっと前----覚えている限りでは一周間どころの話じゃない----に確かにオボロに頼んでおいたと思い出し、ざっと血の気が引いていく。

「ごっ、ごめん!」

 頼んでおきながら何時まで経っても報告を聞きに来ないことで、不安にさせてしまったかもしれない。ティーは手を合わせてシグレに謝る。

「うっかりしてて……、うっかりどころの話じゃないかもしれないけど……、とにかくごめんなさい!」
「……」

 ひたすら頭を下げて謝るティーに、シグレはその旋毛に軽く書類を落とした。目を丸くして呆然と頭だけ上げるティーの眼前に、そのまま書類を差し出す。

「別におっさんも怒っちゃいないぜ。お前が忙しいの、ちゃんと分かってるし。寧ろあれは笑ってたな『殿下らしい』ってな。だから、お前が気にする事はねえんじゃねえの?」
「シグレ……」
「それよりも頭上げてくれ」

 むず痒そうに頭を掻き、シグレはそっぽを向くようにティーから視線を反らした。

「何かお前にそうされると、背中が痒くなってしょうがない。別に俺もお前を責めるつもりなんてないからよ。それよりも、早く書類」
「あ、う、うん」

 差し出された書類を受け取り、ティーはシグレを見て笑う。

「ありがとう。オボロさんにも今度はちゃんと聞きに来ますからって言っておいて」
「……分かったよ」

「じゃあ、俺は行くからな」と外に足を向けかけたシグレの動きがぴたりと止まる。何かの気配を探るように、肩ごしから室内をじっと見つめている。

「? シグレ?」
「しっ」

 喋りかけたティーを止めると、シグレは無言でティーの背中に手を回し、三節棍の片割れを抜き取った。何に使うのかティーが問うよりも早く、それは渾身の勢いで振りかぶられ何もない空間へと投げ付けられる。そのまま、天井に当り落ちるかと思った三節棍は、「ふぎゃあっ!?」と間抜けな悲鳴と一緒に、盛大な音を立てて落ちた。
「何時の間に」と思わずティーが驚きに目を丸くする。
 全然気付かなかった。まさか一人だと思っていた部屋に、レーヴンが居たなんて。
 からんからんと音を立てる三節棍の直ぐ側に、強かに打ち付けた腰を擦りながら、今の今まで気配を消していたレーヴンがシグレを睨み付けた。

「いきなり何をするっ! 俺様の素晴らしい才能を持った身体が壊れたら、貴様はどう責任を取るつもりだっ!!」
「知るかッ! だいたいなんでお前がこんな所にいるのか、そっちの方が余程問題あるだろうがよっ!」

 厳しく見下ろすシグレに、レーヴンは言葉を詰まらせながらも、負けじと見返す。稀代の大怪盗だと言い張っているわりには、腰を打ち付け動かないレーヴンの姿はとても間抜けに見えた。

「……愚問だな」
「ああ?」
「俺様に盗めないものなど何もないっ。その事を証明する為に王子の私物を盗んで、あのニフサーラとか言ういけすかない女を平伏してみせるのだっ!」
「……つまりテメエは、ニフサーラに言われてティエンの私物を盗みにきたと言う訳だな」
「だからそう言っているだろうがっ」
「そうか」

 様子を窺うティーからレーヴンを隠すように移動して、シグレは指の骨を鳴らしながら言った。いっそ、逃げ出したくなるような空恐ろしい笑みを口元に浮かべて。

「----分かった。殴ってやるからこっち来い」

 そう言いつつシグレはレーヴンに近寄り----。
 そして悲鳴がフェリムアル城に響き渡った。



「じゃあ、俺は行くけどしっかり戸締まりしとけよ」
「は、はい……」
「後でまた来てちゃんとしてるかどうか確かめるからな」
「は、はい……」

 生返事を返しながらもティーの視線は、シグレに首根を掴まれ気絶しているレーヴンに注がれている。確かに勝手に忍び込むのは良くないけれど、そこまでする必要もないんじゃないかと思う。だが、シグレが何となく怖くて、ティーはそれを言う勇気が出なかった。
 でも、まあ、いっか。
 レーヴンを引きずりながら歩いていく背中を見送り、ティーは楽観した答えを出した。シグレがそこまで怒ってくれた事がなんだか嬉しくて、レーヴンに感謝したくなる。
 後でお礼言っておこうかな。ティーはくすりと笑うと部屋に戻る。
 鍵を閉めて、また聞こえてくるだろうノックの音を心待ちにしながら。


 


06/07/01
えーと、シグレ×王子に、なるの、かな?(不安げ)
とりあえずレーヴンさんに謝っておきます。酷い目合わせてごめんなさい。