ヤシュナ村に辿り着いた時、太陽は半分西の空に沈んでいた。瞬きの手鏡を使えばすぐフェリムアル城に帰れるが、温泉に入ってみたいと珍しく我が侭を言ったティーの意見に満場一致で宿屋に止まる事になる。
 荷物を部屋に置き、さっそく温泉に向かったティーは浴場に足を踏み入れるなり感嘆する。

「……すごく広いね」

 太陽宮のそれも大きかったが、ヤシュナ村の温泉も引けを取らない。石で組み込まれた浴槽は広く、温かな湯で満たされている。湯気が立ち篭めて薄ら白く濁る湿気は、吸い込んだだけで健康に良さそうな気持ちにさせた。

「泳げそう」
「それは止めとけ」

 ティーに続いて入ったシグレが止める。

「こういうのはゆっくり浸かるからいいんだよ。お前ものんびり足でも伸ばしとけ。疲れてるんだろ」

 気怠るげにぺたぺたと浴槽に向かうシグレ。「待ってよ」とティーは追い掛ける。床は前に人が出てから時間が経っていないのか、濡れていた。滑りやすい石床に、ティーは足を捕られ、バランスを崩す。

「おっと」

 ティーの両脇から腕が伸び、支えるように身体が受け止められる。滑った衝動で逸る心臓を宥め、ティーが後ろを向くと、カイルが「走っちゃ駄目ですよ?」と窘める。
 確かにカイルが助けてくれなかったら、派手に転んで頭や背中を健かに打ち付けていただろう。

「……うん。ごめん」
「いいんですよ。はしゃぐ気持ちも分かります」

 謝罪するティーに、カイルは「それにですね」と身体に回したままの腕を引き寄せる。

「こうやって抱きつける事が出来ましたし、ね」
「……っ!!!」

 ぴったりくっつく身体同士。鎧越しじゃない、素肌で触れるカイルの感触に落ち着いたはずの心臓が一気に沸騰した。上擦った声を上げ、逃げようともがいてもカイルは離してくれない。ティーに凭れるように体重を掛け、手はさり気なく脇腹を撫でる。

「わ、わ……!!」
「ティー様」

 カイルは本気で囁き、ティーの首筋に唇を寄せる。
 喰われる。ティーはぎゅ、と目を強く瞑った。同時に直ぐ傍で聞こえる乾いた殴打音と、カイルの悲鳴。
 恐る恐る瞼を開ければ、抱きついていたカイルは額を押え踞り、直ぐ傍には湯桶が転がっていた。

「ティエン。こっち来い」
「シグレ」

 何時の間にか目の前に立っていたシグレに呼ばれ、ティーは素直にその背中に隠れた。さっきまで湯に浸かっていたらしい彼は、濡れた後ろ髪を鬱陶しく払い、怒気を含んでカイルを睨む。

「この金髪。所構わず盛りやがって。人の目を少しは気にしろ」
「………分かってないな、シグレは」

 湯桶をぶつけられ、赤く腫れた額を擦りながら、カイルは立ち上がりシグレに指を突き付ける。

「ティー様がタオル一枚だけの状態なんて滅多にないんだぞ!? それを見て、何にも感じないなんて……。お前は男かッ!!!?」

 大声で恥ずかしい事を言うカイルに、ティーは赤くなってから青ざめた。そんな二人に挟まれてシグレは溜め息をつき、黙ったままもう一つ湯桶を取る。
 大きく振りかぶり、躊躇いなくカイルに投げ付けた。気怠るげな彼には似合わなかったが、鍛えてあるだけあって狙いを寸分違わず飛び、見事標的の額に命中させる。
 いい音が響いて、再びカイルは痛みに悶え踞った。哀れな姿に同情すらなく、シグレは後ろで怯え隠れていたティーに「行くぞ」と促す。

「え、でもカイルは……?」
「放っておけ。アレぐらいでどうにかなる奴じゃねえ」
「………そうなの?」
「ティエン、俺たちは湯に入りに来たんだ。疲れる為じゃない」

 あー、めんどくせー。お決まりの台詞でぼやきながら湯舟に向かうシグレを、ティーはカイルを気にしつつ追い掛けていく。




「どーでもいいけど、さっさとどけろよお前」

 最後に浴場に出て一部始終を見ていたロイは、呆れて痛みに丸まるカイルの背中を容赦なく蹴った。



06/04/11
一番哀れなのってこの場合誰なんでしょうかねえ(聞くな)
シグレアグレッシブ万歳。