リムスレーアの眼に、半分眠っていて椅子に座るティーと、腰を屈め所々絡まった銀色の髪に櫛を通すカイルが映る。手入れのしてある髪は、すっと櫛を通しさらさらと梳いていく。
 リムスレーアはティーの髪が好きだった。母親譲りの色も好きで、綺麗で、柔らかそうで。触れたら手触りのいい感触がするから。昔はティーみたいな髪が良かったと、鏡を見ながら溜め息をついていたが、『僕はリムの髪好きだよ』とティーが言ってくれた時から好きになった。それに自分の髪は大好きな父親の色と同じなのだから、と考えると嬉しくなる。
 後ろ髪に櫛が途中で止まらないぐらいに絡まりが取れると、カイルは櫛を机に置いて、髪を一つに纏める。
「ほら、王子ー。いい加減起きてくださいよー」
 と髪を軽く引っ張ってティーをせっつく。顎が仰け反るが、ティーの起きる気配はない。
 もし部屋に女官がいたら、不敬罪だと非難されそうだが、生憎ここには、ティーとカイルとリムスレーアの三人だけだ。いつもティーの傍に控えているリオンも、ミアキスに呼ばれて離れている。
「兄上は時たま朝に弱いのう。また夜遅くまで本でも読んでおったのか?」
「そうらしいですよー。勉強熱心なのは結構ですけど、少しは健康の心配をしてほしいと思いませんか?」
「そうじゃの。幾らファレナの為だとは言え、身体を壊しては何にもならぬのだからな。その点に関してはわらわはカイルに賛成じゃ」
「わーい。姫様の賛成貰ったらもう百人力ー!」
「そこまで誉めておらぬ」
 軽く船を漕ぐティーの間で言い合いながら、カイルは器用に髪を三つに分けて編み始めた。見る見るうちに出来ていく三つ編み。リムスレーアは感心して、カイルの指先を見つめた。
 たまにカイルはティーの身の回りの準備をする。リオンが王子専属護衛を任された時、彼女は手伝いをすると申し出てくれたが、ティーは女性にそこまでさせる必要はないとやんわり断った。半分は本音で、もう半分は恥ずかしさもあるのだろう。殆ど自分でして、どうしても(例えば、徹夜をして動くのが億劫な時)の場合は、今日みたいにカイルの手助けを受けている。
「それにしてもカイルは髪を編むのが上手じゃ」
「そうですか? ……っと、はい出来上がりー」
 髪止めで三つ編みが解けないよう止めて、カイルは手を離す。綺麗に編み込まれた髪が、未だ夢の中にいるティーの背中に当って軽く跳ねた。
「はいはい。王子、起きてくださいよ」
「んー………。あー、んん」
 僅かに胡乱な反応を返すが、ティーの起きる気配はない。それどころか、瞼は完全に落ち二度寝の体勢に入っていた。
「駄目だこりゃ」
 返事すら危ういティーに、いっその事寝台に横たわらせて、とことん眠らせてあげた方が良いのではないかとカイルは思う。無理矢理起こしたって、ふらつく足で歩かれ見ているこっちがハラハラする。
「のう、カイル」
 思案するカイルの襷の裾を、リムスレーアが引っ張った。
「はい? なんですか、姫様?」
 リムスレーアの前に跪き、低い視線に合わせてカイルは瞳を覗き込む。
「わらわにも髪を編んでもらえぬか?」
「………いいんですか? 俺なんかが触っても」
 思い掛けないおねだりに、カイルは戸惑う。
 剣を握るカイルの手は、武骨でごつごつしている。時には人を斬る事さえある手で、まだ汚れを知らないリムスレーアの髪を触るのは、カイルにも抵抗があった。
 だが、リムスレーアはあっさりとしていた。迷う事なくカイルを見据え、
「構わぬ。兄上もそなたに髪を触れさせて何も言わぬのじゃ。ならばわらわとて何も言わぬ。それに」
 リムスレーアはカイルの手を触る。自分とは全然違う手だが、安心出来た。この手は、ファレナを守る為に尽くしてくれている手なのだ。
 恐れる事など何もない。
「カイルの手は、わらわも好きじゃ。兄上が言っていたようにな」
「……ティー様、そんな事言ってたんですか?」
「言うなと口止めされてたんじゃが……。ここはわらわとカイルの秘密じゃぞ?」
 カイルがとても嬉しそうに表情を綻ばせる。
「……りょーかい!」
「では、わらわの髪も頼むぞ」
「はーい。任せてください!」
 くるりと後ろを向いてから、リムスレーアは肩ごしにカイルを見る。
「だが、その前に兄上をちゃんと寝かせてやってほしいのじゃ。たまにはゆっくり休ませるのもいいじゃろう?」
「本当に姫様はティー様が好きなんですねー」
「カイルには負けんぞ」
 勝ち気に笑うリムスレーアに、カイルも負けじと笑った。


「………あー………?」
 眠りから覚め、掛けてあった毛布をゆっくりどけるとティーは周りを見回した。ずっと寝顔を見ていたのか、リムスレーアとカイルが並んでこっちを見ている。二人ともにこにこと満面の笑みだ。
 いつからそこに。
 聞きかけてティーはリムスレーアの髪を見て、三つ編みに結れている事に気付いた。自分とお揃いで嬉しそうに揺れている。
「リム、その髪……」
「どうじゃ、兄上とお揃いじゃ!」
「二人並ぶと本当に可愛いですよー」
 べた褒めのカイルにリムスレーアは「そんなにお世辞を言うでない」と言いながらも満更でもない様子だ。
 寝ていたせいでそうなった経緯が分からないティーは、覚醒しきっていない頭を振って考える。どうしてリムスレーアがここにいて、何で三つ編みなんだろう。
 どうやらリムスレーアが来た事すら覚えていないようだった。
 ティーを置き去りにしたまま、カイルとリムスレーアはきゃっきゃとはしゃぎあう。まるで年の離れた兄妹のように見えて、ティーは何となく寂しさを覚える。それはカイルに向けたものか、リムスレーアに向けたものか。もしくは両方か。どちらにしても、面白くない。
「カイル。またわらわの髪を編んでほしいのじゃ!」
「俺で良ければ喜んで! いつでも待っていますからねー」
 笑顔で言うカイルを呆然と見つめ、ティーは寝起きの顔で拗ねて言う。
「とりあえず、髪編んでくれない?」
 寝ていたせいでティーの三つ編みは解け、綺麗なぎんいろの波がシーツに広がっていた。




06/03/08
素直じゃないね、王子。
拗ねる王子に多分カイル、喜んでると思われ。
ツンデレ万歳。