王宮の通路で出くわした男に、ティーは大人しく自室で本を読んでいればと後悔した。ここは自分の住んでいる場でもあるのに、居心地の悪さを覚える。
 男は恭しい仕草でティーに会釈をした。
「これはこれは。アル・ティエン様」
「……ギゼル殿。何時こちらに?」
「つい先程ですよ」ギゼルは気障に笑う。「父上からの命で、女王に面会を求めてきたんです」
「そう……ですか」
 ティーは話ながらも警戒を怠らなかった。
 ファレナの名だたる貴族の中で、武力による勢力拡大を目論むの筆頭でもあるゴドウィン家のギゼル。勿論、彼も同じ考えを持っているのか確証などないが、彼の持つ冷徹な雰囲気が自然と恐れを生み出してくる。
 ティーを一目見るなり、ギゼルの笑みは更に深まる。
「どうかなされたのですか? 顔色が優れないようですが」
「いえ、別に」
「だが、そんなに真っ青な顔色で言われても説得力がありませんよ。アル・ティエン殿」
 手袋に包まれた手が、ティーの銀髪に触れる。雰囲気と反した殊更優しい手付きは、逆にティーを怯えさせる。
 身体が竦む。まるで蛇に睨まれた蛙みたいに。
「本当に、大丈夫です。ただ本を読み過ぎたせいで、寝不足なだけで。……貴方のご心配だけ有り難くいただきます」
「----熱心ですね」
 ギゼルの手が髪から滑り、頬を撫でる。そのまま添えられ、目を、覗き込まれた。
 奥に潜む深い闇。
 飲み込まれそうだ。ティーは思った。
「そこがまた可愛らしいと言うか。何時会っても目を惹き付けて止まない。貴方は罪なお方だ」
「……え?」
「----ティー様っ!」
 ティーはいきなり腕を掴まれ後ろに引かれた。ギゼルから離れそのままたたらを踏む。転倒してしまいそうだったが、伸びてきた手が包むように守ってくれた。
 ギゼルとは違う、柔らかい金色の髪が視界の端で揺れる。
「----カイル?」
 ティーと抱きとめたカイルは、心配そうに見つめてくる。
「こんな所にいらしてたんですか。探してたんですよ。フェリド殿がお待ちになられております」
「父上が?」
「はい、ティー様を連れてくるよう言い付かっております。----よろしいですね」
 最後の言葉をギゼルに向け、カイルは彼を見据えた。丁寧な口調だが、異義を許さない意志がそこにある。
 ギゼルはやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
「どうぞ。元々大した話はしてませんからね」
「では失礼致します。行きましょう、ティー様」
 深々と頭を下げ、カイルはティーの腕を掴んだまま踵を返した。引きずられ、ティーもその場を後にする。


「……本当に、面白い。まだまだ楽しめそうだな……」
 僅かにティーの感触が残った指先で、自分の唇をなぞり、ギゼルも反対方向へ歩いていく。


 角を曲りギゼルから十分な距離を取って、カイルがようやく止まった。心配そうにティーの肩を掴む。
「大丈夫ですか!? ティー様!!」
「カ、カイル?」
 目を白黒させるティーに、カイルが気まずそうに目を反らす。
「歩いていたら、ティー様があいつと居たから」
「あいつって……ギゼル殿のこと?」
「そうです! ティー様あいつが苦手みたいな事を何度も言ってたでしょ? だからつい咄嗟にあんな事をしたんですけど……。良かったんですよね?」
 だんだんと弱くなるカイルの語尾。殆ど衝動的な行動だったんだろう。今さらのように余計な事をしてしまったのかと、慌てている。
「----カイルってば、可笑しい」
 ティーは思わず吹き出すと「ティー様ぁ」とカイルが情けなく声を漏らした。
「ごめんごめん。でもありがとう。あの時カイルが来てくれて正直助かった。嘘までついて」
 下手をすれば不敬と取られかれない。咄嗟とは言えあそこまでして、自分を助けてくれたカイルに嬉しさが込み上げてくる。
「……ティー様」
 笑うティーにようやく安心したカイルが、柔らかく笑った。
「礼なんて言わないでくださいよ。オレはティー様がそうやって笑ってくれれば良いんですから」
 そう言って微笑むカイルはとても優しくて。ティーはさっきの怯えや怖さが吹き飛んでいくのを感じた。



06/02/12
たまにはそれっぽく。
でももう少し甘くしたいなあ……。

06/03/01 修正