幸せとは何時来るか分からないものだ。
カイルは溜め息をつく。出来るならば、彼の意識がはっきりしているうちにそうなってほしかったが。
本棚から雪崩のように落ちてきた本が、カイルの背を滑り、床にばらまかれていく。上等で、室の良い紙を使われている本は表紙も硬質で、服越しに伝わる痛みは強く、思わず顔を顰める。
まさか何気なく本棚を押しただけで大きく揺れるとは。そして、一気に中身が落ちてくるなんて。カイルは思い掛けない出来事にただただ驚いて、すぐ近くの部屋の主を護るだけで精一杯だった。
「ん、ううん……」
きつく閉じ込めた腕の中で、ティーが力なく呻いた。庇ってきたカイルの重みで潰れて、苦しそうだ。
カイルは慌ててティーから退け、床に座り込む。周りは本が錯乱して、辺りに散らばっている。片付けるのに手間がかかりそうだ。
ティー様に悪いことをした。カイルは自分が引き起こしたことに、罪悪感を覚える。ティーの手伝いを申し出たのは自分。力任せになかなか出ない本を引っ張った軽率さが事故を招いてしまった。
一応、先日の王子誘拐未遂事件は、カイルなりに反省している。だからこうして罪滅ぼしでも、と行動に出ている訳だが-----。
「やっぱり上手くいかないのは、王子が近くにいるからだろうなぁ」
リオンには適当に誤魔化したが、本当はティーが近くにいるだけで自分の胸は甘くときめく。今まで恋を知らない少年のように、好きな存在の近くにいたくて、触れたくて。でも、意地悪をして誤魔化してしまう。
これではまるでガキの行動だ。好きな人に自分を覚えていてほしくて、わざと困らせることばかりする。
「………ん」
ティーが身じろいだ。倒れた際にぶつけた頭に手をやって。
「ティー様」
カイルは慌てて床に手をつき、ティーの顔を覗き込む。痛みに歪んだ顔。瞼が伏せられ、藍色の瞳が閉じているせいか、彼の表情は幼く見える。
銀髪と、服から覗く白い首筋にカイルの目が奪われた。傷を知らない肌が、無防備に晒される。息を飲み、ティーの瞼が伏せられたままなのを確認しそこに指を伸ばす。
指先の、更に先端で触れ、それでも伝わる感触に歓喜で震える。自然に胸が高まるのを不謹慎だと咎められても、止められない。
卑怯だと分かっている。だが、相手は王位継承権はないとは言え、れっきとした王族なのだ。ただの女王騎士の自分とは、身分は違う。
進歩のない関係。
----焦れったい。
もしこのまま感情に任せて、彼を求められたらどんなにいいか。
「----ティー」
指先が下に移動して、鎖骨の窪みを通り過ぎる。つつ、とそのまま薄い衣服に引っ掛かる。
そっと顔を伏せた。前、血に濡れたティーの瞼に唇を落とし、薄く開かれた唇へと-------。
「王子。頼まれたものを持ってきて-------」
届く前に、敢え無くやってきた王子の護衛役によって阻まれた。
「リッ、リオン……!!!」
カイルは慌てて頭を上げるが、それを差っ引いても状況が悪すぎる。
本がばらまかれ、散らばった室内。
倒れて気絶している王子に、彼を押し倒しているカイル。手は御丁寧にも服にかかっていて、王子を襲っているようにしか見えなかった。
リオンは絶句し、カイルを見つめる。
次第に冷えていく温度。カイルは全身に冷や汗を掻く。
「カイルさん……? 一体王子に何をしているんですか……?」
「ちっ、違う。誤解だっ!!」
聞く耳持たず、リオンはつかつかとカイルに近寄り----。
悲鳴が響き渡った。
「ん………?」
ティーは薄らと目を開く。ぼやけた視界。心配そうにリオンが、「王子」ときつくティーの手を取り握りしめた。
「大丈夫ですか? 王子」
やけに真剣な眼差しで問いかけられ、ティーは何があったのか記憶を探る。確か、勉強をしていて、カイルが来て。手伝ってくれるって言ってくれて。嬉しかったから本棚の本を一緒に取ってとお願いした。
「あ--------」
そうだ。ティーは思い出す。詰め込んでいた本棚から無理矢理本を取り出そうと、カイルが引っ張って、そこにあった本全部が落ちてしまったんだ。カイルが庇ってくれて、そこからの記憶がない。きっと気絶してしまったんだろう。
「ごめん、リオン。心配掛けた」
「いいえ。そんなことありません」
リオンは真剣な目でティーを見つめる。
「王子。私が王子を護ってあげますからね」
「………は?」
理解出来ずティーの目が点になる。どうしてそんな台詞がリオンの口から出てくるのか。
「絶対に(カイルの魔の手から)護ってみせますから!!!」
「え、ああ、うん」
訳も分からず、リオンの気迫に押されてティーはこくこく頷く。
ティーの死角には、制裁を受けたカイルが泡を吹いて気絶していた。
幸せとは何時来るか分からないものだ。
カイルは沈んだ意識の片隅で涙した。
06/01/12
合間のお話。
こんどはカイル嫉妬編でも書きたいかなと(まだ続くのかよ!)
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