ちょっと血なまぐさいシーンが含まれてます。御注意!





 ぎゃあ、と悲鳴が聞こえ、血の匂いが鼻をつく。折り重なる剣撃と、何かが倒れる音。それが何か、探る前に身体を横抱きにされた。
「わあっ」
「しっかり掴まっててくださいよっ」
 耳元で抱き上げた人物----カイルが囁き、ティーは思わず頬が赤くなりながらも、言われるがまま胸元に縋り付いた。苦しいだろうに、彼は平然としている。
「そうです。そのまましっかり。----ゲオルグ、後頼んだ」
「ああ。王子を頼んだぞ」
「分かってるって」軽い調子で返し、カイルは走り出す。目を開けられないティーは冷たい風を感じながら、なすがままカイルに身を任せた。
 しっかり自分を支えてくれる力強い腕。さっきの男とは違い、とても安心出来る。
「カイル……」
「喋らないでくださいよ」カイルが遮る。「王子怪我してますから、身体に障ります」
「う、うん……」
「心配しないでくださいよ」微かにカイルは笑った。「ちゃんとお護りしますから」
 ティーは頷き、じっとカイルの腕の中で黙る。やがて瞼の暗闇がじんわりと柔らかくなり、そして眩しさが目を刺す。
 外に出た。地下から脱出し、暖かい太陽のひかりが二人を照らす。ティーは掌で目の上に影を作る。
「ここまで来ればもう大丈夫。ティー様、おろしますよ」
 カイルはティーをおろし、地下水道の出入り口にある脇に凭れさせた。前髪を労るように撫で、指先を顳かみから血で固まり開かない瞼に移動する。
「いっ……!」
「すいません。まだ痛みますか?」
 ティーは何度も頷く。痛みに思わず涙を流し、固まった血に混じって赤い水を頬に伝わらせる。溶けた血が、目に入って染みた。
「カイル」目の前にいるだろうカイルを、手を伸ばして探す。
 まだ何も見えない。助かっても、縋っていなければさっきの怖さが蘇る。
 もし、カイルたちが助けに来なかったら、

「ティー様」

 伸ばした腕を掴み、カイルはティーのそれをそのまま壁に優しく押し付ける。
「御無礼、失礼致します」
 何、と思う暇もない。瞼の裏が再び陰り、吐息が顔にかかる。
 瞼に、ぴちゃりと温かい感触が触れた。血が入り込んだ瞼の隙間をこじ開けるように、何度も丹念に伝っていく。
 カイルが自分についた血を舐めて取っている。気付いた時、ティーの身体が熱く燃えた。予想もつかない行動に、感情がついていかない。身体が無意識にカイルの胸を押し返しても、大した力の入らない腕では抵抗にもならない。カイルの舌が動く度、びくりと身体が震えた。
 右目が終わったら、左。実際は短い時間でも、とても長く感じた。早く終われと、それだけを願う。これ以上続いたら、どうなってしまうか分からない!
 それからどれだけ経ったのか。ようやくカイルが「失礼します」と離れ、ティーは恐る恐る瞼をあける。
 ぼやけた視界。空を背にしてカイルが安堵していた。ようやく助かった実感が沸いてくる。今度は過ぎ去った恐怖を今さらのように思い出し、怖くて震えが来る。ティーは自分を抱き締めるように身体を抱え込む。蹴られて解けた後ろ髪が、顔を隠した。丁度いい。カイルに見られずにすむ。
 だが、カイルはお構いなしにティーを抱き締めた。突っぱねるティーを軽く躱し、力を込めた。
「すいません、ティー様。俺が軽卒に行動したせいで、こんな目に遭わせてしまって」
「……も、いい」
 確かにカイルの行動で惑わされ、結果こうなってしまった。でも今助けてくれたからいい。
「もういいよ、カイル。----助けてくれてありがとう」
「ティー、様………」
「もし悪いと思うなら、しばらくこうしていてよ。安心するから……。震えが止まるまで」
 耳元でカイルが息をつめるような声が聞こえる。「全くティー様は……。負けましたよ」と呟き、肯定する代わりにティーの背中を優しく撫でた。


 ティーに不逞を働かせた男たちは、駆けつけたカイルとゲオルグによって刀の露と消えた。王族を誘拐しようとした罪は重い。どちらにしろ、その命は消えていただろう。それが早いか遅いかだけ。
 ティーをカイルに任せ、後片付けをしていたゲオルグは疲れたように、フェリドに事の次第を報告した。
 フェリドは一瞬驚いたが、すぐに破顔する。
「まぁ、ティーが無事だったんだからよしとしよう」
「………。他に言う事はないのか?」
 カイルの失態が原因で、危うく息子を失う所だったのに。
「いいさ。俺よりももっと怖ーい王子想いの奴らが、カイルをこってり絞るだろうからなぁ」
「……ああ」
 ティーの幼なじみ兼護衛役の少女と、兄を慕う妹を思い出し、ゲオルグは納得する。王子想いの二人が束になれば、きっと物凄い事になるだろう。きゃんきゃんと子犬のように吠えたてる様を考え、苦笑した。
「災難だな」
「だろ?」
 得意そうにフェリドは笑う。



 だがフェリドの予想は外れた。
 カイルを探すリオンとリムスレーアを余所に、人払いを済ませたティーの部屋に人影二つ。
「……いいんですか? 俺を匿ったりして。見付かったらティー様も怒られますよ」
「いいよ。カイルのお陰で助かった訳でもあるんだし、……それに、僕もかってに抜け出て悪かったから」
「でも」
「じゃあ、これは命令」
「……はい?」
「僕の気が済むまでここに居て」
「………」



 カイルは笑う。嬉しそうに。

「はい。喜んで」





06/01/05
一応お仕舞い(一応?)
ここまでおつき合い頂きありがとうございましたー!