ソルファレナは大地の上でなく、川の上に作られた石の土台で出来た都だ。道の下を覗けば、上流から下ってきた水が、太陽のひかりを反射して煌めく。ざあざあと耳を澄ませば、涼やかな水音が聞こえる。暖かい気候ゆえに、脇道を通り抜ける風は気持ち良かった。
 ようやく冷めてきた頬の熱にほっとして、ティーは目深にフードを被りなおし、通りを歩く。狭まった視界で見た景色は、見慣れない分新鮮だ。脇には軒を列ねる店が、人を呼び止めるような大声を上げ、商品を売る。母親と手を繋ぐ子供は顔を上げ歩き、釣り竿をつった男がこれからの獲物を思い浮かべ意気込んでいる。
 ここにいれば、王宮では王子のティーもただの人間になる。リムスレーアのように、滅多に城下に下りたいとねだりはしないが、時たま人目を忍んでやってきていた。どうしても一人になりたい時や、考えに没頭したい時に。
 果物を売っていた店で、林檎を買い、ティーは脇道に入る。慣れた足取りで進んで抜けると、目の前に空間が広がった。川の蒼と空の青。向こう岸に見える大地の茶と、山の緑。以前に見つけた秘密の場所だ。
 道の端に座り、足を投げ出す。あともう少し伸ばせば、冷たい水が指先をくすぐるだろう。周りに人の気配がない事を確かめ、フードを脱ぐ。三つ編みが、風に揺れた。
「はぁ……」
 服で林檎の表面を軽く擦り、かじり付く。酸っぱめの味が広がる。もくもく口を動かしながら、考えている別のことだ。
 カイルは何であんな事を言うんだろう。……何であんな事をするんだろう。
 銀色の髪を結う時の揺れる感触を思い出して、首筋がなんとも言えない感触に陥る。むず痒くてしょうがない。後ろ手に手を回し、掻いて押さえる。ああ、なんて僕らしくない。ティーは自己嫌悪に襲われる。
 だから気づけなかった。後ろから忍び寄る気配に。
 それは音もなくティーの後ろに忍び寄ると、無防備な首筋に、昏倒するには十分な力で打ち据える。
「……っ!?」
 突然衝撃が走り、息がつまる。ティーは霞んでいく視界と意識にぐらつきながら、後ろを振り向き相手を見た。
 相手もフードを被っていて、顔を窺う事は出来ない。だが、口元は釣り上がり、嫌な笑みを浮かべている。手に持っているのは、鞘に収まった刀。
 ティーは自分を叱咤する。こんな所で倒れたら、大事だ。気絶するな。何とかして、ここから逃げ出さないと。
 だがティーの頑張りも虚しく、相手が再び刀を振り落とす。それは顳かみに命中して、敢え無く意識をかき消した。
 銀髪が冷たい石の地面に散らばる。




「-------おう、ゲオルグにカイル」
 廊下の向こうから走って来る女王騎士二人に、フェリドは立ち止まり手を振る。
「どうした? そんなに急いで-------」
 フェリドに構わず、カイルとゲオルグはその横を通り過ぎる。擦りぬけ様に起きた風を受けながら、フェリドは首を捻りながら、後ろを振り向いた。二人はとうに角を曲り、姿を消している。
「相変わらず騒々しいな」
 言いながらもフェリドの顔は笑っている。
「ティーもこれぐらい元気だったらいいんだがなぁ」




「----フェリド殿に何も言わなくてもいいのか?

「構わん。彼奴に言ったら余計に事態がややこしくなる。お前だってこれ以上ややこしくしたくないから、リオンに何も言ってないんだろう?」
「それはまぁ、そうだけど」
 カイルは渋い表情を出す。
 ティーがいなくなってカイルが真っ先に助けを求めたのはゲオルグだった。リオンに言えば、顔に出来たあざ以外に怪我が増える。加えて王子の出来事に大して冷静さを失う可能性もある為、言うのは憚られた。
「それよりも、今はティーを見つけだす事が先だ。いくらソルファレナの治安が良いとは言え、完全に安全ではないからな。中には不逞の輩もいるだろう。それに目立つからなあいつは」
 カイルは納得する。ティーは、母親譲りの美しさを兼ね備えている。もしフェリドとアルシュタートと並んでその間にティーを立たせたら、誰もが『母親似』と彼を称するだろう。だから質が悪い。
 あまりにも似すぎて、すぐに女王と血族だと分かってしまうのだ。それが分からぬティーではないと思うが……、不安がつきまとう。
「ああっ。早まるなよっ」
「誰に言ってるんだ」
「ティー様を狙う不逞の輩にだよっ」
「……まだ狙われているとは限らないだろうが」
 ゲオルグは溜め息をつきながらも、足を速めた。カイルもそれに続く。その瞳には、冴々といつもの彼らしからぬひかりが灯っていた。


 そして、カイルの不安は、最悪な形で的中する。
 今、正に。




05/12/27
王子ピンチ。
あともう少し進めば、かっこいいカイルが……拝めるはず?(何で疑問系)