帝王学。歴史。近隣諸国の情勢近況。地理学、政治学。
 分厚く重い本を頭を超えるまで腕に抱え、ティーは本棚にかけられかけた脚立からゆっくり床に足を着けた。手が塞がっている分均衡は危うかったが、 上手く体重を移動させ、まるで猫のように音を立てない。
 窓から見える空は青く、今日も良い天気だ。耳を澄ませば、風が囁く音や鳥のさえずりも聞こえるだろう。
 そう言えば元気な妹君は、ミアキスに外へ散歩に連れて行ってほしいとおねだりをしていた。きっと今頃それが最大限に高まっているだろう。ティーは、大変な役割を持ってしまったミアキスに同情の念を込め苦笑する。 あの子は言い出したら聞かないところがあるから。
 窓際の壁につけられて置かれた机に本を置く。ひかりに透けた埃がきらきら光りながら舞った。
「ティー様」
「カイル」
 扉が開き、戸口からひょっこり顔を覗かせたカイルはティーを見るけるや否やするりと室内に身を滑り込ませる。どうしたの、と尋ねかけたが、それよりも早く、彼は口元に立てた人さし指をつけ言葉を押さえ付ける。
「静かに。見付かってしまいます」
「誰が、……何に?」
「俺が、姫様に、ですよ」
 カイルは声を潜め、参ったように肩を竦めた。
「ほら、今日は良い天気でしょ? だから姫様が外に出たいってミアキスにねだってたんですよ。俺、その現場にたまたま居合わせちゃったんですよね。そしたら」
「そしたら?」
「姫様、目ざとく俺を見つけちゃって鉾先を変えてくるから参った参った。ミアキスは逃げるし、姫様は連れてけ連れてけの一点張り。俺だって仕事があるんだから、困ったもんですよね」
 ちゃんと仕事をしてたなら、そういう目に合わなかったんじゃないか。 ティーは思ったが、それはカイルの名誉の為に伏せておく。黙って聞いているティーに気を良くしたのか、カイルの声や身振り手振りも大きくなる。
「だから、俺もミアキスと同じように、ちょうど通りかかったリオンに」
「リムスレーアを押し付けたんですか」
「とんでもない」
 カイルは手を振り否定する。
「すこーし、 お話し相手になってもらっただけ、ですよ」
「………」
 呆れた。そして同時に可笑しくもある。女王騎士として名を馳せ数多の女性を惹き付ける彼が、幼い姫君にはこうも簡単に振り回されてしまう。ティーは笑みを漏らし、見えないように口元を手で隠す。
「……ひどいなティー様は。そんなに俺が大変なのが面白いんですか?」
「ごめんごめんそういう訳じゃないんだ。ただちょっと………」
「ま、いいですけどね」
 さして気にせず言い、カイルは机に置かれた本の山に目を止めた。分厚い本の数々に嫌な想い出があるのか、眉が曇る。
「ティー様。それは?」
「これ?」ティーは、一番上の本の表紙を軽く掌で叩いた。「少し勉強しようと思って」
「はぁ、偉いですねえ。俺とは大違いだ」
 本気で感心するカイル。
「カイルだってするでしょう。勉強ぐらい」
「俺は面倒くさい事はしない主義なんです」
 カイルは見ていて気持ちいいぐらい断言した。そしてティーをまじまじと見つめる。
「しかしなんでまた。今日の勉学の時間はもう終わられたんでしょう?」
 ティーとリムスレーアには毎日決められた時間に、勉学をしている。リムスレーアは時折サボりたがるが、ティーの方は毎日真面目に受けている。今日カイルは、紙面に視線を落とし、ペンを走らせるティーを見ていた。なのに、今もまた机に向かっている。
「まだ、学び足りないんだよ。色々僕は知っておかないといけない」
「何を、ですか?」
「世界のものごと、だよ。政治でも、地理的でも、この国のことを知りたい」
 扉の向こうから聞こえる妹と幼なじみの声。見付かるんじゃないかと怯えるカイルに微笑ましく目を細める。
「僕は王位継承権はないけれど、リムスレーアの兄である事には変わりない。いつかこの国を背負って立つ妹の、助けになるには、学ぶのが一番でしょう? あの子が困っていたら、支えて助けてやらないと」
「ティー様」
「確かに毎日勉強はしてるけど、やっぱり足りない。自分から進んで行かないと。それに武術だって頑張らなきゃ」
「----ティー、様」
 ああ、なんて強いんだろう。カイルは思う。彼はしっかりと自分の置かれた立場を弁え、前を見据えて進むべき道を見つけている。母親似の、いやそれ以上に強い意志を宿した藍色の瞳で。だからこそ、彼の妹や幼なじみは彼を慕い、信頼している。
 そして、この俺も。
「ティー様」
「----カイル?」
 徐にカイルはティーの足元に跪いた。恭しい動作に、ティーは慌てる。
「ならば、覚えておいてください」
 武術を嗜んでもなお、白い指先に自分のそれを滑らせ、そっと掌を乗せる。掌から伝わる仄かな温もり。
「貴方が、妹君の力になりたいと思うように、俺も、貴方の力になりたいと言う事を。
 俺は女王を護る騎士ですが。貴方を護る剣でもあるのです。それを忘れないように」
 ふ、と口元を軽く上げ、カイルは真摯な言葉に戸惑う王子の手の上に口付けを落とす。その場所に施す口付けは相手に対する尊敬だったか。その通りだと思いながら、唇を押し付け、そして離す。
「覚えておいて、ください、ね」
「…………ッ!!!」
 見る見る間に赤らんでいくティーの顔。黄昏の太陽にも負けない赤色に、カイルは笑いながら立った。
「かーわいいー、王子ったら」
「……カイルッ!!!!」
「ここにおったか!!!!」
 ティーの叱責とリムスレーアの怒声、そして騒々しく扉の開く音が重なる。部屋に飛び込んできたリムスレーアは、自分から逃げていった金髪の騎士を見つけ、指を突き付けた。
「よくもわらわから逃げおったな。だが、見つけたからにはそれ相応のことをしてもらわなければ」
「おっ、王子」
 すっかりリムスレーアから逃げていた現実を失念していたカイルは弱り、頼みの綱に助けを求める。リオンが駄目だったら、もうリムスレーアを負かす事が出来るのは兄のティーだけだ。だがティーはつれなくそっぽを向いた。
「カイルのことなんて知らない。そういう事は女の人にでもやったら?」
「そんなぁ」
「……リムスレーア。いいよカイルを連れていって」
「兄上ッ! 良いのかッ!?」
「もちろん。しっかり付き合ってもらうんだよ。僕の勉強が終わったら呼ぶから、その時はお茶にしよう?」
「うんッ!!」
 優しい兄上の言葉に妹は顔を輝かせる。二人に挟まれたカイルはげんなりと交互に顔を見比べた。
「あのー、そのお茶って、俺も一緒に」
「カイルは仕事があるって言ったでしょ? しっかり頑張ってね」
「……はい」
 うなだれるカイルの袖を、リムスレーアは強く引く。
「早う! 兄上が呼んでくれるまでわらわの遊び相手になってもらうぞ!!」
「……お手柔らかにお願いしますよ、お姫様」
 引きずられるようにカイルは出ていき、扉は閉まる。静かになって一人部屋に佇むティーは、口付けを落とされたばかりの手を、そっと包み込んだ。口元まで持っていき、一つ溜め息を漏らす。頬は火照りが残っていて暑い。
「……びっくりした……」
 不意打ち、卑怯としか言い様がない。真剣な表情で、あんな事をするなんて。
「ずるいなあ、カイルは」
 呟きもう一度溜め息を落とすと、ティーは窓のガラスに頬を押し付けた。冷たくて気持ち良く、そっと瞼を閉じる。
 この熱を冷まさなければ、勉強に打ち込めそうにない。悔しいが、きっとなかなかそれが上手く出来そうにないと、五月蝿くわめく心臓を押え、口付けを落としたカイルの表情を思い出し、また顔を赤くした。



05/12/16
初カイル×王子。ねぎ発言にやられたよ。カイル主。
どっちも口調が変ですね。 なにしろカイルの声は「熱列歓迎」ぐらいしか聞いていないので、口調が分かる訳がない。
とりあえず手探りでやっていきます〜。